『自分セカンド』という言葉の必要性を提唱したい。
よくコンビニなどで、2つのレジに数人が並んでいる状態で3つめのレジが開放されることがある。「次にお待ちの方どうぞー」というアレだ。
この時、自分は2番目に並んでいるが、隣のレジに並んでいる2番目の人が僕よりも早くから並んでいたかどうか、もうひとつ定かではない。そういうことってよくあると思う。
で、僕はこういう時、ほぼ100%に近い確率で、「お先にどうぞ」と言ってしまうタイプなのだが、ここで大切なことは、その時の僕の心情は、譲ったわけではなく、純粋に後ろがいいからそうしているだけだということだ。ずずいっと先に入ったのに、小銭がスムーズに出せなくてもたついたりした時の気まずさに比べたら、たかだか数十秒待つぐらい安いもの。ただそれだけのことに過ぎない。
ところが、これが隣に並んでいた2番目の人が女性だったりすると殊更にまずい。「レ、レディーファーストとか、そんなんじゃないんですけど・・・」と、付け加えたほうが良い気さえしてくる。僕はステッキも持っていなければ、シルクハットも似合わない、英国紳士の素養は少しもないただの小心な日本人なのだ。
長々と語ってしまったが、「そんなつもりじゃない」という、何となくこっ恥ずかしい気持ちを和らげる、新しいスタンスの提唱。それが、『自分セカンド』なのである。心の小ささ、器の小ささ、肝っ玉の小ささ。それら全てのミニマムを包み込む優しい言葉だというのは、少々言い過ぎだろうか。
だろうね。