僕らは天使に多くを求め過ぎているんじゃないだろうか。
なにげなく「へそごま」について調べていた休日の午後。幼い頃は「へそごまを取るとお腹が痛くなる」と言いつけられていたものだが、今では「ただの汚れ」であると断定されているようで、常に取り除いておくのがスタンダード。ごま界からは追放されている。
そりゃあ、ごましおやすりごまとしてみれば到底仲間だとは思えなかっただろうから、これは致し方ないだろう。
さて、そんな認識の変化がある中で、巷では「へそごまクレンジング」という商品ジャンルも確立されているようなのだが、気になったのは「天使のおへそ」という商品である。
「天使のへそは美しくキレイで、ごまなどあるはずもない」。そういう前提で付けられる、この「天使の○○」シリーズ。たしかに天使といえば、そういう汚れのないイメージがあるとは思う。しかし、あまりにもこのシリーズが氾濫し過ぎて、もはや天使のからだは一分の油断も許されない状況にまで追い込まれているのだ。
ちょっと調べてみただけでも、
・天使のくちびる
・天使のひとみ
・天使のほっぺ
・天使のブラ
・天使のお肌
・天使のかかと
この有様だ。僕が冒頭で述べた、「天使に多くを求め過ぎている」という言葉の意味もわかってくるだろう。いいじゃないか、へそごまがたっぷりたまった天使がいても。現代は多様性の時代だって、肘当のついたツイードジャケット着た人たちもよく言ってるよ。ホントかどうかは知らないけど。
くちびるがガサガサな天使がいてもいいし、ほっぺがガチガチな天使がいてもいい。ノーブラな天使がいても、鮫肌の天使がいてもオッケー。オールオッケー。そもそも、完璧でも万全でもないからこそ、天使足りえるのではないか。僕はそう思う。
例外として、犬のおしっこやうんこにかけて匂いを消す「天使の水」という消臭剤があったことも、書き添えておこう。