またもやこの類の惨劇。アメリカはインディアナ州にて、クラウンポイントの55号線がうんこまみれになってしまった。
糞尿を積んだトラックからどばーっと漏れ出してしまったらしいのだが、このうんこまみれ独特の『やっちゃった感』は、今回も存分に存在感を発揮しておられる。しかし、今回はこの事件のみを取り上げる話ではない。
こうやってコラムを書くにあたり、日ごと世界のニュースをチェックしている僕だが、ふと考えてみるとこの類の事件はなんとなく定期的に起こっている気がする。どのくらいのサイクルで世界がうんこにまみれているか。そこまでは、まだわからない。
そこで考えてみた。なぜ世界はこうもうんこにまみれてしまうのか。その鍵は、うんこの持つ強いエンターテイメント性にあると、僕は睨んでいる。
おそらくトラックに糞尿を積み込んだ運転手は、「これが漏れ出したら、えらいことになるだろうな。なんたってうんこだしな」と思いながら、鍵を掛けるだろう。しかし、そこには「漏れ出したらおもしろい」というイケない期待感が無意識に働いていると思うのだ。そのイケない期待感が、鍵の掛け方を甘くする。無意識にゆるめてしまったりしているわけだ。
さらに付け加えると、僕自身、そしてみんなも思い当たると思う。「うんこまみれになりました」という類のニュースをみると、しっかりとテンションが上がってしまう自分がいることを。「うほっ」と、心が湧き上がってしまう自分がいることを。
結論としては、世界中で起きたあらゆるうんこまみれ系の事件は、すべからく人為的なものであるということだ。まみれるべくしてまみれる。うんことはそういうものなのだろう。